で、「永遠に女性的なる現代美術」にティルマンスについてどう書かれているかというと、「消費者としての私」、グローバルな情報資本主義型社会に塗りつぶされた「私」にたいして、ティルマンスの一貫した主題である「私」はかろうじて確保される城壁だとしている。これに従うなら、ティルマンスの私的なスナップに見える写真のほとんどでされているという演出も、「私」を確保するための戦略として捉えることができる。う〜ん、でもそうかなあ?
で、その「私」について日本とヨーロッパでは理解が違うらしい。荒木経惟を取り上げた他のページで説明されている。日本においてプライヴァシーは個室という土地を占有することで、ヨーロッパでは、公から奪い取る権利としてプライヴァシーがあるという。この辺はid:solarさんの▼linkに詳しくある。

  • 清水穣、美術手帖の森山、中平特集にも書いている。