STUDIOVOICE 2004.1 『対談:飯沢耕太郎×角田純一』

    • ティルマンスの西洋的ではないパースのとりかた、浮世絵みたい、おたく(『コンコルド』を指して)。ティルマンスのプライベートフォト(に見える写真)はすべて演出との指摘。この点は結構重要な気がする。同書のティルマンスの紹介文には単に「スタイリッシュなスナップ写真」とされている。

ユリイカ 2001.01(ISBN:4791700694) 『フォトジェニックの憂鬱』 杉田敦

「ティルマンズの写真は、実際にはそのほとんどがディレクションされたものであり、忠実なドキュメンタリーとして撮影されたものはほとんどないという。しかしティルマンズは、そうしつつも、あくまでもそれらがドキュメンタリーであるかのように見えるようにも気を付けている。それを目の前にした人々が、ドキュメンタリーなのかフィクションなのか判断できないような、不安定な状態に置かれることを目論んでいる。」

    • 写真集『Soldiers: The Nineties』(ISBN:3883753777)にこのことが如実にあらわれている。「スタイリッシュなスナップ写真」という評価からは完全に逸脱する。

Esquire 2002.03 『ヴォルフガンク・ティルマンス ロングインタビュー』 後藤繁雄

「その写真がリアルかリアルじゃないかは、自分にとって問題ではない…」
「僕にとって美しいという問題は、実際には政治的、社会的なことなんだよ…」
「人がどのように物事を見るかということに対して、人や社会にダイレクトに影響えを与えたい…」
「ものの見方って公式化しちゃうと純粋さは失われてしまう…」
「この世で一番退屈なことは、撮りたいからとりましたっていう欲望をみせられること…」

    • 杉田さんのティルマンス論を読んだあとで、このインタビューを読み返したら、ティルマンスの発言の意味がなんかすごく解ってしまったような。
    • ティルマンスの写真でまず思い浮かぶのは窓際の植物をちょっと上から撮った写真。ああいう視点の取り方は印象的。日常的なモノに注がれた視線にハッとさせられる写真としては、佐内正史の『生きている』(ISBN:4916094166)が思い出されるが、独特な自動車の切り取り方を見てると公式化された視線があるような気もする。(ああ、ティルマンスの植物の写真が印象的だったのは『生きている』のジャケットの写真に似ているからか。)
    • こちらのダイアリーlinkにもティルマンスについて色々書かれている。清水穣『永遠に女性的なる現代美術』(ISBN:4473018865)もういちど立ち読みしてみよう。
    • 美術手帖2002.04『1990年代以降の現代写真とティルマンス』清水穣、これも気になる。
    • インスタレーションの写真、linklink