ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論』ISBN:4473014665
2章(ノート)はリヒター自身が書き溜めた文章(日記?)。
フォト・ペインティングについて…

  • 『写真は描かれることによって、もはや特定の状況についての伝達ではなくなり、そこで描写されたものは不条理でばかげたものになる。絵画として、それはあるべつの意味、べつの情報をもつのだ。』
  • 『私は苦労し、手作業を費やして写真を描きうつすのではなく、一つの理性的な技法を開発しているのである。それが理性的といえるのは、カメラのように描くからであり、その技法が理性的にみえるのは、写真をとおすことによって変容したものの見方を、私が完璧に利用しているからである。』

リヒターのフォト・ペインティングをみたのは、東京都現代美術館の常設にあった一点と、トーキョーワンダーサイトで去年あった「ゲルハルト・リヒター展」で数点。暴力的にもみえる、対象がぶれていて大きなサイズの絵画をみていてふと思ったのは、仮にこれが絵画でなく同じサイズに引き伸ばされた写真であっても同じような感覚を自分に引き起こすんじゃないかということだった。(こう思ってしまったのは、リヒターがカメラのように描くことに徹しているからか?あるいはもっと手の痕跡を残すこともできるはずだし。)
リヒターのフォト・ペインティングへのオマージュにも見える、トーマス・ルフの『Nudes』(ISBN:3829600410)を立ち読みしてて気が付いたのは、どの作品も写真っぽくない色彩(彩度が高くてちょっとこってりした感じの色)に変えられているということ。絵画的な色彩?