shin-go2004-01-20

ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論』ISBN:4473014665
一章はリヒターのインタビューと対談。一貫した主張のようなものがなかなか見えてこない。

  • 「白黒写真はずっと直接的で、芸術的でなくて、だから信じられる。それで素人写真や、陳腐なものを撮った写真や、スナップ写真のほうを好んだ。」
  • (絵画がもはや無効であるというのではなく)「絵画は、もっとさまざまものをしょうじさせなければならない」
  • 「いつでも描きはじめるときは、正しい構成のモティーフをもつ、完結した絵をつくろうという意図をもっているんだ。それから比較的手間をかけて、この意図を徐々に、ほとんど自分の意図に逆らって、こわしていくんだよ。絵が完成したときには、最初のいとのかけらもなく、開かれた性質だけが残るというわけだ。」

ポロックやオートマティズムとはちがう偶然なのかという質問に対しては、

  • 「それはけっして盲目の偶然ではなく、つねに計画された偶然で、それにもかかわらず、僕はその偶然に驚かされてばかりいる。」
  • 「偶然は破壊し同時につくりだしながら、僕自身が当然したかったこと、思いつきたかったことをやってしまうのだ。」

偶然が「当然したかったこと、思いつきたかったことをやってしまう」という部分、結果として出て来たものが(無意識に)自分がやりたかったことなんだ、というのとはまた違うんだろうか?例えば選び出した幾つかの写真の中で共通点を指摘して、「こういう写真を選んだんだから、君はこういうものに惹かれてるんだよ」とか。ちょっと違うか?
ポロックやオートマティズムでなくても、偶然は作品について回るものだと思う。作っていくうちに自分の意図からはみでてくる所が面白くなったり。