『ヨーゼフ・ボイス ハイパーテクストとしての芸術』を時間がある時にちらちらと読んでいる。日吉慶応の生協で購入。
ボイスの「社会彫刻」という考え方(普通の生活での営みが既に表現であり、社会という彫刻を形作っているという理解で良いと思う。たぶん)を武井さんの言った「芸術」に接続するなら、ボイスは本来「芸術」とは思われていない行為に、合「目的」的ではない要素を見出したということだろうか?ちょっと違うかなあ。

「ボイスの「拡張された芸術概念」においては、社会そのものをその在るべき未来的なものへと造形することそれ自身が、現代における芸術家の最大の課題であり、社会彫刻と呼ばれるべきものなのである。なぜそれが芸術家の課題であると考えられるのかと言えば、それはボイスが在るべき未来の社会を美において、すなわち芸術作品において捉えているからである。…
…そしてボイスによれば同時にすべての人間はすでに芸術家なのであった。」
*同書内、平山敬二さんの論文『シラー美学とボイスの思想』より

「社会彫刻」「拡張された芸術概念」と実際のボイスの作品。いまいちピンとこない。