美術手帖「フォトグラフィからデジグラフィへ」買った。
「デジグラフィ」って言葉は流通するんだろうか?ちょっとかっこ悪い。
「デジグラフィ」っていう手法の傾向のようなものより、自分が興味があるのはネットでの視覚体験とか戦争のイメージが「グラフィ」にどう影響するかということ。

id:eyck:20040511を読んでみて、川内倫子展に行けば良かったなと思った。
なんで行かなかったかというと、「ナチュラルに撮られたかのように提示される」写真になんだかうんざりしていたから。
ナチュラルに撮られたかのように提示される」写真については、pg press no.3で清水穣さんが確か、純粋さを偽装した写真とかいう 「透明な私」、倉石信乃さんが「イノセントであることの偽装工作」という言い回しで書いている。
清水穣さんの文章ってなんだか極端な言い方をするようなところがあって疑問が残る部分もあるんだけど、いつも考えもしなかったような視点を与えてくれて、面白いなと思う。
今回のpg pressは他にも深川さんの「サイト・グラフィックス」とか、古屋誠一さんの「六本木クロッシング」についての文章とか、かなりの充実ぶり。完全に批評の雑誌となっている。

ナディッフ澤田知子の写真集ISBN:4861520126。400人分…その大量さで作品に説得力が増してると思う。ゼミの時の先生の言葉が思い浮かぶ。頭で思いつくことはそれ程みんな大差がなくて、どれだけ手を動かしたかが重要なんだと。どうも火曜日の報道ステーションにゲストで出てたらしい。見逃した。
買いそびれてたolivo barbieriの写真集をshelf(http://www.dab.hi-ho.ne.jp/shelf/)で購入。

折元立身「処刑」

http://home.catv.ne.jp/hh/kcm/special/orimoto.htm
川崎市市民ミュージアムのサイトで 折元立身の新作パフォーマンスのパフォーマーを募集している。…と思ったらもう募集は終わってた。
公演は6/13(日)川崎市市民ミュージアム・企画展示室

パン人間である折元立身とともに、 26人のパフォーマー(演者)が、目隠しされ、手を木製の処刑台に縛り 付けられながら、パン籠に山盛りのパンを抱えてさまざまな動きを見せるという内容です。中東の状況に見られるようなさまざまな矛盾を抱え、行き詰まり感や閉塞感も見られる現代社会のありかたに対する、パン人間の叫びや憤りの表現なのかもしれません

ん???