ティルマンス展再考

ティルマンス展再考というか、「ティルマンス展を見て僕自身が感じたこと」についての再考。
オペラシティーティルマンスの展示を見て、僕が感じたのは感想が言いにくい展示だなということで、もっと端的に言うと、よくわからないなと思った。
昨日のdo fim ao fim展オープニング&デジオ公開録音の場でid:mika_kobayashiさんと、作家の増本さんティルマンス展の感想を聞く機会があり、その後もやもやと考えてみた。
ティルマンスの独特な展示(インスタレーション)については多分色んなところで色んな語られ方をされているんだろうけど、僕にとっては展示全体で作品について語ることを拒否する(または難しくする)ような展示ではなかったかと思う。
前にも指摘したかもしれないけど、あの展示で特徴的だと感じたのは、シリーズ化して纏められた作品とそうでない作品が、点在していたり、ある部分では纏めてグリッド状に展示してあったりしたことで、僕がよくわからないと思ったのは多分このことによる。単純にシリーズ化した作品、グリッド状または一列に並んだ展示を拒否しているならまだわかり易いんだけど、部分的にそうでもない側面を見せられるから曲者だ。
展示全体でうまく見ることができず、一枚一枚の作品の前でただ「わからないな」と思ったってことは、逆に言うと僕はいつも一枚の写真についてではなくて、写真群として纏められた作品についてあれこれ考えているんだなと言える。
シリーズ化したものとか、何枚かで組まれたものを作品として、それについて何か語るってのはたぶん写真に特徴的なことで、知らない間に僕にもこういう習慣が身に付いているってことだろう。
で、それが僕がティルマンスを評価したりしなかったりの基準になるかといえばそういうわけでもなく、結局「よくわからないな」なんですが、よくわからないなりにも何か考えるところがあった展示だったというわけです。

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上記の「よくわからない」はティルマンスの作品についてもそうなんだけど、ティルマンスについて書かれたものについて、どのくらいの人たちがそれと同じように作品を感じたてるのかよくわからないってのもある。僕が見たときの展示会場にはけっこうひとが来てたんだけど、その人たちが何を感じながら作品を見てるのか気になってしょうがなかた。