問題意識

森達也監督インタビューより

僕は作品ではいつも一人称で語っているんだけど、自分が帰属しているのが社会だから、自分について語ることが社会について語ることと重なるんでしょうね。自分は社会のワン・オブ・ゼムでしかないから。ドキュメンタリーってそういうものじゃないかな。自分の主観とかポジションを抜きにしてドキュメンタリーはできないし、そうすると社会との関係性が重要になってくるんでしょうね。

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ベトナムから遠くはなれて』ASIN:B00005RUTN
ゴダールのモノローグ部分

…我々に出来るただ1つのことは、映画を作ることだ、私は映画を作る、私が映画について出来ることは、ベトナムにムリヤリ入り込むことではなく、何が何でもムリに入り込むんではなくて、反対にベトナムが、我々の方に入り込むにまかせる…
ベトナムは今日、ひとつの象徴だといえる、一般的に抵抗を現す象徴だ、…
…革命家になりきっていない我々は、だからこそ、叫びに耳を傾けその叫びを他に伝える必要があるのだ

今見るとベトナムを単純に抵抗の象徴としてとらえていることに疑問があるけれど、遠く離れた場所の出来事を自分自身の問題として捉える視点は重要なんじゃないかと思う。何よりいやなのは「あー日本は平和で良かった」と言っている(言っていた)無関心な態度で、いまごろそのツケが一気にやってきたんだと思う。
とか考えるようになったきっかけが、中学の時に見た『機動警察パトレイバー2 the MovieASIN:B00012T0IK